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創造力が生まれない。
物語が物語にならない。
最早自分コピーになってしまう。
なりたい人物がわからない。
書きたい人物もわからない。
言葉が沈殿したまま浮き上がらない。

自伝に変更したいわ笑



自伝を書いたら、惨めになるのは重々承知。
でも、言葉がすらすらと出てくるのも確か。

なんてこったい★
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 私は常に恋をしていた。もしくは、恋のような感情を抱いていた。でも、その対象はいつも触れることのできないものだった。それは時に、空だったり、視線だったり、意味だったりした。
 牧師に対して、私は、好意も敵意も抱かなかった。彼はいつも牧師でありつづけたし、私はいつも牧師として彼を見た。わたしたちは、男女である以前に牧師と私だった。
 そんな間柄であるがゆえ、共有や強制や協力は必要がなかった。私は彼の望むとおり好きなときにしか教会へ向かわなかったし、彼も私にまた来るように勧めもしなかった。その彼の在り方に、少し恋をした、と思う。
 大体、いつも感じるけど、私が恋をするということが不自然であり似つかわない、あるいはムシズガハシルようなことだと思う。だって私は生の意味合いを持たず垂れ流しているような人間で、正誤や善悪すらはっきりしなくて、美しいものがわからないから。判断することを怠っていたら何も判断できなくなってしまっただなんて、酷く馬鹿げていて怠慢の極みだと思う。認識も曖昧なまま飲み込んでしまうと消化不良を起こすはずなのに、私にはそれすらない。
 見えないものはこの世に存在しないもの、そんな安易な思考は生憎持ち合わせていない。でも、神という存在は酷く歪められているように感じる。信仰の対象である時点で彼らは逸脱してしまっている。カリスマ性や偉業の成果すら跳躍して、異常、とも思える。まるで彼らの存在を肯定するために私たちが生き延びているみたいだ。私たちの遺伝子は、もしかしたら、彼らを忘れまいと必死で種をばらまいているのかもしれない。
 そう考え始めると、少しずつ生が愉快なものに思えてきた。下らなかろうが愚かだろうが神を信じれば救われる。なんて退屈で、浅はかなんだろう。私たちは、少なくとも私は、縁日の金魚じゃないのよ。掬われるのを待ってるだけの能無しでもないし、わざわざ跳ねたりするほどおこがましくもない。期待の眼差しを私だけには向けないで。期待ほど迷惑なものを私は知らないし、そんな日溜まりみたいな暖かさなんて吐気がするくらい疎ましいんだから。
 あれやこれやと巡らしている私を、牧師はただ黙って眺めていた。どこかの豪邸の門に立っている監守みたいに、まっすぐと、それはまるで使命を果たしているかのようだった。
 「好きなときに来たらいい」
 彼は空気みたいな声で言った。囁いているのと語りかけているのと、半々くらいに聞こえて、私は返事に迷った。
 「好きなときにしか来ない。」
 つぶやくようにそう言った私を、相変わらずまっすぐ見ながら、彼は笑った。笑った、と言っても、口の端をほんの僅か上げただけで、真意はわからない。正しく言えば、笑ったように見えた、だ。
 音や温度や色にとらわれがちな私にも、唯一気に入っている「もの」がある。右手首に着けた安全ピンの連なりが、それ。大きさも色もばらばらで、無器用な見てくれなんだけど、ただの安全ピンなんて普通すぎるし、酷く退屈。それに、連なると見え方が全く変わってくる。安全であるという欠点が覆い隠されたような気がして、少しだけ私が安心できるようになる。万が一のことがあったとき、一番大きいのから順番にケイドウミャクに刺していって、一気に抜こう、そう決めている。ケイドウミャクが正確にはどこにあるのか、安全ピンなんかで状況を変えられるのか、寧ろ私にそれをする権利なんてあるのか、疑問だらけなままに私は決めている。解明する気もないし、そんなことどうだっていいけど。

 いつものように、日溜まりを避けながら死んでいる私を無理矢理動かしていたら、牧師のような人が道を阻んでいた。牧師なんて画面でしか見たことがないし、本当にいるのか疑わしいけど、その人は牧師に見えた。神聖、と言ってしまうと胡散臭いし、私の感性が疑われてしまう恐れがあるから嫌だけど、でも神聖という表現のふさわしい人だった。
 「通して、ください。」
 声がまだあって良かった、死にきってはいなかったみたいだ。そんな風に思いながら声をかけた。きちんと発音できていたかどうかは不確かだけど。
 「僕を避けても道はあるよ」
 「日溜まりを避けてるの。」
 なんて不毛なんだろう。会話はいつだって不毛だ。意思表示なんてするんじゃなかった。いつだって人は正しいことしか言わない。わかってたはずだけど、改めて実感するのは酷く不快だったし、気持悪かった。
 「日溜まりもそう悪くない」
 「私にとっては至上最悪。」
 ああ、どうして私は私の価値観を振り撒くんだろう。そんなの意味のないことなのに。この人は誰だろう。そんなの興味のないことなのに。もしかしたら魔法使いで、私に意思表示をせよという魔法をかけたのかもしれない。こんな馬鹿げたことを考えているのがおかしすぎて、私は笑い出した。極めて静かに。
 「教会へ来たらどうだろう」
 「教会って、何をするとこ?」
 「神に祈るところ」
 「祈らない人、は?」
 「きっと考えたり嘆いたりするんじゃないかな」
 「私はいつだって、考えたり、嘆いたりしてる。」

 彼は牧師だった。本物か偽物かはわからなかったけど、彼がそう言うのだから、きっとそうなんだろう。牧師はなぜ存在するのか、その意義はなにか、服装に意味はあるのか、雰囲気は備え付けられたものなのか、私は何一つ解決しないまま教会へと向かった。
JAN
 暖かい日溜まりなんて滑稽なだけだと思う。
 そこに私はいないし、手を差し出しもしない。勿論、暖かくて心地好いのは知っているけど、刺すような北風が再びこの手指を冷やしてしまうことがわかりきっているから。私の手は、私の手指は、そうやって日溜まりや北風に翻弄されるために存在しているんじゃない。冷たくなったことに嫌悪しながら、擦り合わせるために存在しているんじゃない。少なくとも私はそう信じている。
 
 日溜まりが少しずつ減って、見るものが溶けてゆくと共に私は生き返る。元々死んでなんかいないけど、生き返る、としか表現できない。血の巡りが緩やかになって、外気と躰が同化しかけてやっと、順応していると思えてくる。マシマロを一粒一粒噛み砕きながら、その時を待つのは苦痛とも言える。大好きなマシマロですら鬱陶しく感じられる。なのに口に運ばれるのはおかしいかもしれないけど、だって好きなんだもの、としか言いようがない。好きであることと心地好いことは必ずしも一致しないのが普通でしょう?スリルが好きな人は、直接的にスリルを好んでいるわけじゃなくって、スリルの心地好さを好んでいるだけ。マゾヒストが痛みを好んでいるわけじゃないことも、そう。ただ単にマシマロが好きなことは、時には不快感を連れてきてしまう、残念ながら。

なんでこんなにも体が弱いんだろう。PART2

まじで。
ナーバス。
産婦人科とか大嫌いだ。
ナーバスなのも嫌いだ。

泣くな。


求めるな。
自分で解決しよう。
大丈夫消化できる。
あわよくば、昇華。

食ったのにお腹減った。
やばすなぁ。

太らないでお願い。



好き嫌いは心地好さとは比例しない。
お腹減った。

なんでこんなにも体が弱いんだろう。
また、病院にいかなくちゃならない。
お金もないのに、どうしたらいいの?

借りるしかないの(笑)

もー借金が5万近くなってまうー
やだやだ。


まじでやばい。
金がない。

美容院とか行けねぇや(笑)


まあなんとかなるなる。
とりあえず明日病院に行って、それから考えよう。
保険証と、診察券わすれないように。

大丈夫もう自暴自棄にはならないから。
for little lovely life

今ちょっと気分がいいのはきっとバイト先でBLINK-182とWEEZERが流れたから。
やっぱ好きなバンドのがテンション上がるなぁー
HIPHOP系にはすぐ飽きてしまう。

嗚呼なんだか眠たい。

お腹が減っているんだろう。
唇が荒れているし、
私はもう少し生きていたい。
笑って笑って笑って生きる。
時々泣くんだけれど、溢れそうな悲しみより、慈しみや愛しさ、切なさとかそういったものによって。
私は私であり続ける。
失わないし損なわない。

あけおめーに飽きたからあけでとう。


やっぱアッシュベイビーは読むのが辛い。
今だからというわけでもなく、ただ辛い。
酷く冷静になるような気がして嫌になる。
どこかしら憧れてしまうことに腹が立つ。

好きという感情は幸福とも満足とも相関しないんだね。
幸福感や満足感は好きじゃなくても得られるんだろう。
そう考えると傲慢なのかもしれないと思ったりもする。
きっと意味を取り違えてるんだろうとも思うけれども。

また1年が終わる。


去年は散々だった。
今年は何もしなかった。
また繰り返したけど、
感慨深くもならなかった。

変わったと思う。
ここ数ヵ月で。

どうしてかはわからないし、どのくらいかもわからないけど、強くなったんだと思う。
無感情にはなりたくないけど、耐えられるようになった。
以前ほど悩まないことは、それはそれで嫌だけど、素直に環境を楽しめるくらいの余裕は嬉しい。

サミシガリヤは変わってないけどね笑


酷く寂しいし、堪らない気持。だけど少し長い目で見られるようになったと、思う。
指折り数えなくたって大丈夫。

もしかしたら、とか
杞憂だと信じてる。
無償で。
それしか私にはできないから。

無力だろうか。
だとしても私は信じ続けるけれど。
それも一つの表現方法だと思ってる。
怖がってばかりいても警戒を生むし、何より侮られて尚取る行動ではない。



特異でありたい。
wanna be funny!
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